セカンド『オタク』ライフ

暇を持て余すくらいならオッサンもオタカツしようぜ!的なブログ

ドラクエという名の使命感

ドラクエは日本のお祭り

今日はドラクエ11発売日です。

とくに今回は夏の発売ということもあって、楽しいお祭りのような感じがします。

私のようなオッサンも周りの若い人たちと、ドラクエの話題で盛り上がったりして、年齢や性別の関係なく楽しめる文化にまでなりました。

ドラクエ好きだからオタクなんてことは、もういわれない時代。

踊るアホぉに見るアホぉ、同じアホなら踊らなにゃ損損!といわれるように、お祭りは理屈抜きで全員参加させられる引力のようなものがあり、そこに人が共同体で生きるための内側から湧き出てくる謎のポジティブな意志のような使命感のようなものを感じます。

 

買うべきか、買わざるべきか

私にとってドラクエは、発売されるなら『やる!』というものであって、そこにはなんの疑いも迷いも入り込む余地はありません。

買う!、買わない…、やる!、やらない…などというくだらない迷いから解放された真に自由な精神によって取り組むもの、それがドラクエなのです。

ドラクエ10はオンラインゲームで『やれない』状況にあったので、いちドラクエファンとしては大変くやしい思いをしたのですが、ようやく新作のドラクエを楽しめる日が来たのです。

 

買うべきか、買わざるべきか part2

 今回のドラクエ3DSとPS4の二本立てです。

しかも、グラフィックだけでなく、内容もゲーム機の特性に合わせて違うようなのです。

ドラクエファンとしては、ぜったいに両方押さえておきたいところです。

しかし、ドラクエ10をプレイしてないことからお分かりだとは思いますが、私はPS4を持っておりません。

ちなみにウチの奥さんはゲームに関して、まったく理解がありません。

暇があれば家事手伝いを要求、趣味のものを買えばお小遣い削減を要求するという搾取する側の人間です。

そんな人間の前でPS4を購入しプレイしたりできるでしょうか、いや、できるはずがありません。

あのデカいゲーム機を妻の目から隠すには、四次元ポケットかステッキー・フィンガーズを使うしかないのですが、あいにく猫型ロボットやイタリアのマフィアに知り合いはいません。

ドラクエ11を買った日に、ドラクエ11を買っていないというこのパラドックス

私と同じ気持ちを抱えたお父さん勇者が世の中には結構いると思います。

絶対いるはずです。いや、いてほしい!w

 

ドラクエは文化

ドラクエ1が高校時代だったいう私にとっては、ゲーム好き=オタクというレッテルはできるだけ回避したいことでした。

なぜなら、オタクはモテないからです。

バレていなくてもモテないのに、バレたら大変なことになると当時は考えていました。

しかし、ドラクエが3で社会現象にまでなり、一般化する以前に私はドラクエってひょっとしてして、オタク向けではないのでは?と思っていました。

それは、すぎやまこういち大先生が音楽を担当していたからです。

鳥山明先生のモンスターデザインはもちろんポップで洗練されていて、いままでにないオシャレ感があり、メチャクチャかっこよかったのですが、そういうものに教養のない人から見れば、アラレちゃんの作者の人がデザインしている…くらいのノリでした。

しかし、すぎやま先生は一般の人にも知られる数々の名曲を生み出してきた大御所。

しかも、画期的ともいえるRPGクラシック音楽を持ち込み見事に融合させた天才的センス。

学校の音楽の授業に取り入れても、まったく問題ない…いやむしろ学ぶべき!的な重厚で壮大なスケールの洗練された音楽。

誰が聞いてもゲーム音楽とは絶対に思わない。

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!ではなく、音楽がすぎやまこういちだからオタクじゃないもん!的なことは当時すごく感じていました。

個人的には『すぎやまこういちの音楽』だからこそ、ドラクエが市民権を得た!という気持ちもあります。

 ドラクエ1発売から三十年。

ドラクエのオープニングは誰が聞いてもドラクエのオープニングとわかるようになりました。

最近、雑誌インタビューなどでお姿を拝見すると、ずいぶんとお年を召された気もしますが、いつまでも元気で第一線で活躍していただきたいと心から願います。

すぎやま先生、ありがとう!

 

思い出話に浸っている間にいい時間になりました。

いまから、ドラクエ11を買いに行きます!